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めきょさんのブログ

社会不適合者のめきょさんが身体張ったり食ったり呑んだり見たりするレポを書いたらいかんのか?

【真田丸公開記念】真田一族が九度山で遺した軌跡を辿ってみた・1

さて・・・

前回までは「真田丸公開記念」と称し、真田の郷である信州・上田を観光した時のレポートを公開させていただきました。
良かったですねー、上田城に真田本城。空気が美味しく、蕎麦も美味かったです!

さて、前回末尾付近で書いた通り、真田信繁(と愉快な家族たち)は信州での様々な出来事…織田との邂逅というか寄生、徳川とのマッチング、信州・上田での2回に渡る戦い、そしてバトルオブセキガハラを経て結局敗軍の将になっちゃいました。

僕が思うに、戦国時代の「将」の捕縛された後の末路と言えば、爆発四散(≒HARAKIRI)か、勝った将に媚びへつらってどうにかこうにか生きるか、どっかの魔境に強制転勤で殺されるかの三択やと思います。まぁ天寿を全うした将もいるにはいますが片っぽの指で数えられるぐらいしかいまへん。

当然のことながら真田信繁とドーナツ父さん(=真田昌幸)も勝った側の将である徳川家康から「切腹ね」と言い渡され、真田丸どころか真田家がMETSUBOUする…ところでしたが、バトルオブセキガハラの前にホンダム(=本多忠勝)の義理の息子になった真田信之が「助けてくださいオナシャス!」と言いながらジャンピング土下座を決行。
更に「犬だよ、ヨツンヴァインになんだよこの野郎。あくしろよ。おい、(息子と親父を)返さねえぞこの野郎!」というTNOKさんばりの無茶振り(※誇張有り)に対しても従ったことにより、家康はどっかのトランプマンのように高々と勝利宣言。
領地は召し上げ、そして上田の事務所(≒屋敷)から紀伊国九度山に強制転勤させられることで決着しました。

領地に石高、そして将としての誇りも丸ごと失われた真田信繁「くっ!殺せ」って言ってくれた方がまだマシだったと感じるどっかの騎士の気持ちがわかりまつね。
色んな所にある資料とか記事を見ると主に貧乏がSAN値を削っていったようで、大泉洋真田信之さんに「お金ないんだよぉーなんとかしてくれよぉー」とお願いの文を何度か出してます。まぁなんとかしたいのは「家族」の形をしている人の集まりならある種当然…なんですが、信之さんは流石に勝った側についているのでこっそりと仕送りをしてました。

…上田にいた頃に比べたら農民以下の生活に格下げされちゃったにも関わらず、信繁は14年の間耐えきり(その間にドーナツ父さんは亡くなっちゃいましたが)、九度山を脱出。
大阪へと向かうのです。

人間の人生で言えば14年は4分の1ぐらい。
とりわけ戦国時代においては平均寿命が50歳ぐらいってことを考えると、人生の3分の1を暮らした九度山ってどんなところなんだろう?
暮らしやすいところなのかな?流罪っていうと刑務所とかと違って寒かったり暑かったりで暮らしにくいところが大抵やから、3年もったらエエほうなんやが…14年は長いで…?

色々気になってきたので、和歌山県九度山町へ車を走らせようと思います!!

そして、居心地が良かったら将来的に移住しようと思います!
なあに、(2年半の東北暮らしで)田舎暮らしには耐性が出来てる。

シリーズものなので

各記事へのリンクとタイトルをご用意させていただきました!
もう一度見たい、こんなもん読みたくないときなどのときにご使用ください!

旅立ち

今回の旅においては距離が距離なので、東京から大阪民国までは新幹線を使い、大阪民国でマイカーよりもずっと新しいレンタカーに乗り込み、南進しました!

関東圏の方々だとあまり馴染みが無いかも知れませんが、関西圏の隣県って意外と近く、大阪中心に兵庫、京都府奈良県和歌山県の県境まで高速道路を走って1時間ほど、隣の隣の県までおおよそ2時間弱ってところです。
今回向かう九度山町へも電車で1時間(奈良県からは2時間弱)、車では大阪からであれば1時間30分前後で到着できます!

大阪→和歌山県九度山町

f:id:mekyonama:20161109032837j:plain この日は快晴!
晴男の兄(戦国☆若本)とオカンにホンマ感謝やで…!

f:id:mekyonama:20161109032742j:plainコンビニ休憩を挟みつつ1時間30分。
山道を登ったり下ったりするうちに、九度山町が見えてきました!

f:id:mekyonama:20161109032741j:plain 民家があり、道路があり、窓を開けると湿気を全く含まない心地よい風が。

f:id:mekyonama:20161109032743j:plain 空気は美味い。不便そうに見えてツカミ(≒第一印象)はバッチリですね…!

f:id:mekyonama:20161109032842j:plain やがて九度山町の中心地っぽい交差点に差し掛かりました。
この交差点を左折し、駐車場に車を停めます!

九度山町を少し散策

f:id:mekyonama:20161109032839j:plain 駐車場に車を停め、そこらじゅうにある六文銭のノボリを見つつ町内のメインストリート?を少し散策します。

f:id:mekyonama:20161109032843j:plain 九度山町和歌山県奈良県の間に壁のごとくそびえ立つ「高野山」の玄関口にあたる、小さな山間の町。
九度山町は空気がとにかく美味い。
そして…暑い。東京ほど湿気は無いけど、太陽に近くなったからか日差しが痛いです…

f:id:mekyonama:20161109032844j:plain そして、とても静かです。
見かけた車は郵便車と買い出しであろうオバハンが乗った車ぐらいなもん。バイクとかもほっとんど通りません。
国道からも少し外れているからか郵便局のカブと郵便車ぐらいなもんかな。

空気は美味く、そして静か。理想的な田舎ですね…!

f:id:mekyonama:20161109032845j:plain 花壇に六文銭がありました。
まぁ大人気?大河ドラマの主人公が過ごした地だからね、そうだよねー…

f:id:mekyonama:20161109032846j:plain なんて思ってたんですが、電柱に至るまで真田に関連してる者(イラスト)を載っけるのは流石にやりすぎだと思うw

真田庵

先程まで散策していたメインストリートから歩いて5分ほどのところには「真田庵」と呼ばれる日本庭園のような場所があります。
真田って名がついているのである程度察せるかもですが、真田信繁真田昌幸、そして側室の方々が過ごした家であります!

f:id:mekyonama:20161109032848j:plain メインストリートからはこの看板を頼りに真田庵へと向かいます。
ちなみに僕らが行ったルートは正規ルートではないようで、看板がものっそく見づらかったです。こいつを見つけるまでにメインストリートを2往復ほどしてしもうた…!

f:id:mekyonama:20161109032849j:plain 人がすれ違えるか微妙な細い道を進みます。

f:id:mekyonama:20161109032850j:plain 「このオッサン誰やねん」とツッコみつつ歩くこと6分で

f:id:mekyonama:20161109032853j:plain 真田庵に到着しました!
なんつーか…ありふれた寺みたいですね…f:id:mekyonama:20161109032851j:plain 入庵?は無料なので、どんどん中へと進みましょう!

真田庵

f:id:mekyonama:20161109032854j:plain 真田庵は正確に言うと寺です。別名は善名称院
真田家がここに暮らしていたのは確かですが、真田屋敷の跡地に作られたのがこの善名称院なのです。
※諸説あります

f:id:mekyonama:20161109032855j:plain 本尊近くには重要文化財の立看板がありました。
基本的に撮影はOKですが、それなりに節度をもって撮らなアカンな…

f:id:mekyonama:20161109032857j:plain ここが本尊。お賽銭箱と名産物が置いてあります。
名産物と言ってもお守りがメインだったりしますが。

f:id:mekyonama:20161109032858j:plain このタペストリー?の奥に資料館があり、真田家に纏わるモノや、ここに宿泊したことのある天皇に纏わるモノなど、展示物がたくさんあります。※入館料有
が、今回はちょっと別に行きたい所があったのでまた次、やな…!

f:id:mekyonama:20161109032856j:plain ちなみに、真田庵はこの他にも雷封じの井戸もあります!

真田地主大権現

f:id:mekyonama:20161109032859j:plain 真田家がここ九度山で過ごしたのは14年間。
ドーナツ父さんはここで暮らしている間に亡くなり、信繁さんは「ここで供養しよう」ということで供養牌とお墓を建てました。
それに合わせて稲荷やら何やらが建ったのがこの「真田地主大権現」なのです。

f:id:mekyonama:20161109032902j:plain 稲荷を正面にして左側に昌幸さんの墓、

f:id:mekyonama:20161109032901j:plain そして供養牌がありました!
この下にドーナツ父さんが眠ってるんですね…!

f:id:mekyonama:20161109032903j:plainとまぁこんな感じで真田庵は「ぶっちゃけて言えば真田昌幸の墓だけ撮影出来たらほぼ終了」な構成にはなっていますが、やはりこの草木が織りなすハーモニー?は「これこそパワースポットやな」と思える良きところでございました!

f:id:mekyonama:20161109032905j:plain

f:id:mekyonama:20161109032906j:plainどこかのキャッチコピー「そうだ京都へ行こう」ならぬ「そうだ九度山へ行こう」って言うキャンペーンを打ち出すときに使えるんやないかなーと思いつつ一枚。
さわやかな夏。そして日陰でひと涼みしつつ次なる目的地へ。
まぁ僕が出ると画面が汚染されるので出ませんが。

真田丸ミュージアムへ行こう

てなわけで、まずは真田家の九度山での暮らしぶりを住居跡を通じて感じ取ることが出来ました!
夏でも全然暑くなくて湿気はほぼ無し。関西の中心地・大阪まで1時間ちょっとで出れるってこともあって「暮らしやすいやん…」なんて思っていましたが、これらは「どこにでも、そんなにかからずに行ける」ということがあってこそ。
暮らし自体はもっと大変やったんやな、って思います。

後ほどご紹介しますが、真田家はこの九度山であるモノを作り、売ることで生計を立てていたと言われています。
事実上家康さんからクビを言い渡された状態で、かつ、主君自ら何かを生み出さないとやってけない状況なんて、僕なら2日と持たないと思います。
戦でも、暮らしでもサバイバーだった真田信繁、やはり凄い人でした…!

続いてはもっと歴史的な観点?から真田家の九度山の暮らしぶりを「九度山・真田ミュージアム」を通じて見ていきたいと思います!

シリーズものなので

各記事へのリンクとタイトルをご用意させていただきました!
もう一度見たい、こんなもん読みたくないときなどのときにご使用ください!