【真田丸公開記念】真田一族が大阪で遺した軌跡を辿ってみた・2
シリーズものなので
各記事へのリンクとタイトルをご用意させていただきました!
もう一度見たい、こんなもん読みたくないときなどのときにご使用ください!
大阪城へ
なんとかワンから人混みを掻き分けて地下鉄の梅田駅へ行き、地下鉄を乗り継いでやってきましたのは谷町四丁目駅!
大阪は東京と同じで各鉄道会社のICカード(PASMOやらSuicaやら)が使えるので持ってさえいればとっても便利!まぁただ、オートチャージまではやってくれないみたいなので調子に乗ると残高が速攻で3桁になりますw
谷町四丁目駅1-B出口から歩いて大阪城公園へ向かいます。歩いて7分ぐらい。
この日は快晴!気持よく観光できそうやでー!
大阪城公園内
大阪城公園は東西約1.4キロ、南北1.3キロの面積。
関西圏からのアクセスも良いからか、年中モトクロスの大会だったりアーティストのコンサートだったりで使われているみたいです。
園内は歩道がかなり広く整備されているので、皇居ランナーのようなマラソンランナーが結構走ってます。
それでも皇居や某御苑よりもそれほどストレスになっていないのは、のんびり歩く人用のレーンとランナー用のレーンが分かれているから。
人とランナー(又は自転車)とぶつかる確率が格段に低いんですよねー。
これはいい遊歩道だ…
公園の遊歩道を歩くこと2分弱で大手門に到着ー!
ここは所謂大阪城の玄関口で、ここから(敵に簡単に攻めさせたくないので)直角コーナーが連続します。
敵を止めて、↑から鉄砲で狙い撃つという戦法から来た構造のようです。
攻めにくい構造にしていることから天守閣が近づいているのを感じながら、続いては桜門へ!
大手門と違い、東(大阪城公園又は森宮駅)方面から来る人もここの桜門を通るため、結構人が増えてきましたねー
ちなみに僕らは西の谷町四丁目駅方面から来たので西方面から来たことになります
桜門から更に2分。お目見えするのが「大阪市立博物館」。
ここは第二次大戦中は軍事司令部として、戦後はGHQ本部、GHQ撤収後は大阪市警視庁(大阪府警察)本部として使われ、 最終的には2001年まで40年以上博物館として使われた土地です。
ただし、2001年以降は閉館し、以降は取り壊されるわけでもなく、普通に「置かれている」という表現が正しいでしょうか。
こんなのもやってるんですねぇ。
名づけて「なにわの夢募金」。 読んでみると、大阪夏の陣から400年経ったのをきっかけとして、徳川家康が(事実上)作りなおした大阪城を真の姿にしよう、という意図のようです。
…ん?作りなおした?
と思われる方もいらっしゃると思いますので、ここいらから真田家と大阪城との関係をざっくりご紹介!
「関ヶ原」のその後
大阪夏の陣より前、関ヶ原の合戦において、石田三成率いる西軍は敗れました。
真田昌幸、片岡愛之助大谷吉継の娘を娶った真田信繁親子も当然ひっ捕らえられ、徳川家康の前に連行されました。
第一次上田合戦、関ヶ原の合戦前にあった第二次上田合戦において散々おちょくられた苦い苦い思い出が蘇ってきた家康は速攻で「打首じゃー!」と言い放ち、 真田家はこの時点でお家DANZETSUとなる…はずでした。
ところが、信繁の兄、(真田)信幸が「助けてやってくれよぉー俺はあんたに散々尽くしてきたろぉー頼むよぉーヒゲぇー」と徳川家康に懇願。
元々仮面ライダーホンダムこと本多忠勝の娘(≒小松姫)と結婚し、順調に徳川家とのパイプを太くしてきた信幸さんが頭を下げまくったことで状況は一変。 家康は「このぉーダメ人間!」ってな感じで罵った後、昌幸と信繁を和歌山県九度山の寺に閉じ込め、監視するという超寛大処分を下します。
昌幸・信繁「計画通り」
大阪夏の陣のその後
九度山での生活がスタートすることが決まる、関ヶ原の戦いから5年後。
大阪夏の陣では多少ネタバレですが豊臣秀頼率いる豊臣方が徳川にフルボッコにされ、信繁は戦死。
数で押されまくった豊臣方はことごとく壊滅。
最終的には大阪城へ火が放たれ、豊臣秀頼と淀の方は自刃。
大阪城は燃え尽き、豊臣家はMETSUBOUしました。
普通であれば新しい主君が誕生した意味も込めて城を作りなおすか、跡形もなく潰すかするのですが、徳川方は「こんだけデカい城、ただ潰すんじゃMottainai!」と思ったようで、徳川家康は「あのサル(≒豊臣秀吉)が作った大阪城の上に、俺が大阪城築いたことにしとけや」という指示を与えました。
そして完成したのが…
この大阪城、ということのようです。
ただ困ったことに、 この石垣の下に更に覆うように作ったようなもんだから、この石垣をどかして掘り起こす必要がある。 その資金が税金諸々やと足らんからちょっと協力してくれんか…とのこと。
まぁ、少しずつ興味が出てきた城に投資?するのは今後の為いいかと思いますので、これは後ほどやっておきましょう( ´∀`)
というわけで、お知らせや元博物館を右目に見つつ、いよいよ大阪城内へ突入でございます!