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めきょさんのブログ

社会不適合者のめきょさんが身体張ったり食ったり呑んだり見たりするレポを書いたらいかんのか?

【真田丸公開記念】真田一族が大阪で遺した軌跡を辿ってみた・4

はい、というわけで前回大阪城を陥としましたー!
今回は真田幸村終焉の地、大阪・天王寺を巡る旅へと参りましょう!

シリーズものなので

各記事へのリンクとタイトルをご用意させていただきました!
もう一度見たい、こんなもん読みたくないときなどのときにご使用ください!

真田信繁と徳川方が激戦を繰り広げた「大阪」。
今なお、その跡はあちこちに遺されています。

前回、少しだけご紹介した「茶臼山」からまずはご紹介!

茶臼山と徳川と真田

茶臼山は標高にして50m。小高い丘にしか見えませんが全国の山として登録されています。極端な話、富士山登るのもこの茶臼山に登るのも「登山」という、なんともまぁふざけた山です。

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そんな小高い丘に徳川と真田はどんな関係があるのか?
それは、大阪の陣が関係しております。

大阪の陣

大阪夏の陣の2年前にあった「大阪冬の陣」において、徳川家康大阪城の状況や豊臣方の位置等を把握出来るということで布陣したのがこの「茶臼山」。

大阪冬の陣自体は色々あって末に徳川の圧勝に終わりましたが、大阪城や戦後処理の関係で揉めるわ揉めるわ。
数ヶ月たった頃には再度徳川VS(浪人をかき集めた)豊臣の対決図が完成。大阪夏の陣に至ります。

夏の陣において、徳川家康は冬の陣と同様に茶臼山に布陣し、采配を振るっておりました。

とんでもない物量で攻め入ってきた徳川勢の前に豊臣方の武将は次々と討死。
そんな中で奮闘していた武将、それが真田信繁なのです。

信繁は「真田丸」という砦のようなものに立て籠もって防戦。
徳川方は攻め口の堀が深く、かつ攻める箇所が限られている真田丸を攻めあぐねており(&挑発に乗った兵士が斃される有様)このまま冬まで…となりかけましたが、それでも数の暴力は凄まじく、段々と崩され始めます。

そして、後藤又兵衛という「豊臣にとっての希望」が潰えていく中、流石に「こりゃ勝てぬわ」と絶望視した信繁は奇襲に出ます。

豊臣方の被害は甚大でしたが、毛利勝永木村重成の活躍により徳川軍も甚大な被害を出しており、別方面からであればほとんど兵のいない徳川家康を討てるチャンスが巡ってきました。
そして、選抜隊「真田赤備え」を携え、真田丸から出撃する信繁。
奇襲作戦は功を奏し、3度の突撃を通じて家康が見えてきました。

ここで焦ったのは家康です。大阪城を守っていると思い込んでいたのかアイエエエ!?ノブシゲ!?ノブシゲナンデ!?」てな感じで家康と家康親衛隊の皆様は大混乱。おまけに大阪城攻めに兵の殆どを割いてしまったので守り切れる兵力がありません。
家康が恐怖のあまり焼き味噌(一説によると味噌汁だった)を出した「三方ヶ原の戦い」以来の大敗が目前に迫ったと悟り、ハイクを詠む敵(信繁)に討ち取られるぐらいなら自分から腹ぁ斬ったる!切腹の準備までしたと伝えられています。

結末

一騎当千の「真田赤備え」と言えど武士であり、人であります。
大勢の敵を討ち取ってからの体力はほとんど残っておらず、ツラくなってきたところを親衛隊()に押し返されます。
更に大阪城から引き返してきた徳川勢の殆どに阻まれ、家康を討ち取るまでには至りませんでした。

そして、茶臼山登頂後に向かう予定の「安居神社」にて最期の刻を迎えるというわけです。

大阪城→茶臼山へ

というわけで、早速大阪城から茶臼山へ移動しましょう!

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大阪城から茶臼山へは電車で10分ほど。
最寄り駅は大阪市営地下鉄谷町線四天王寺前夕陽ヶ丘なんですかこの青春ドラマの番長達みたいな名前。

その他天王寺駅、動物園前駅、新今宮駅からも歩いては行けますよ!結構キツいけど。

四天王寺前夕陽ヶ丘駅からあべのハルカスに向けて歩くこと10分で茶臼山(天王寺公園)に到着!

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 到着したら、早速小高い丘が見えるじゃありませんか!
こっからは登山!
大阪城からほぼノンストップで移動したもんやから足はパンチキやけど頑張るで!

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20秒足らず、階段数にして30段ほどで小高い丘が見えてきました。

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・ これが全てであり、
茶  臼  山  登  頂  完  了  !  !

となりました(標高:26m)
※なおちゃんとした山として登録されている模様

なおここでも「真田丸」ののぼりはありましたね。これも「真田丸紀行」で紹介するんだろうなぁ。行ったら驚くと思うなぁ。色んな意味で。

なにはともあれ、これにて茶臼山登頂完了!
続いては安居神社へと参りましょう!

安居神社入り口

f:id:mekyonama:20160902094044j:plain大阪夏の陣、茶臼山にて決死の突撃を結構し、徳川家康を後0.1%のところまで追い詰めた真田信繁でしたが、真田赤備えは1%を残し全員ヘトヘト。結局討ち取れず。
体勢を立て直そうとこの「安居神社」にて一休みしていたところ、徳川方の兵士に発見され、そのまま討ち取られたそうです。
徳川方の軍勢と最期まで戦ったという説もあれば、一説によると、諦めの境地に達していたと思しき信繁は「お前の手柄になるぞ」と伝えた上で、討ち取られたとも言われています。

f:id:mekyonama:20161127162310j:plainなお、茶臼山から安居神社までは徒歩5分。距離にして350m。
こりゃ近い…なんだこれは…たまげたなぁ

 

信繁終焉の地として有名な安居神社は、戦国時代より遥か昔からあった神社です。
ちなみに、あちこち調べてみましたが創建された年は不明で、分かっている範囲で一番古いものだと、 942年から菅原道真が祭られるようになったといわれているのが分かった程度でした。

境内

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看板左側の細い通路から境内へ入ります。

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大坂の陣から400年ということで、ここにものぼりがありました。

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 境内にてお参りを済ませ、右側を向くと…

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信繁さんの銅像を発見!
50過ぎの信繁をイメージしたからか、堺雅人さんからは想像つかない「軍人」って感じの信繁さんになってますねぇ…

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そしてここにもあった「真田丸」のぼりを見て「(当時の)大河ドラマを全力で忘れさせようとしてる感があるのはなぜ?」とやや哲学的(?)になったりw

社務所

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境内には社務所があり、絵馬は当然のことながら、真田関連グッズも販売しています。
しかし…信州・上田で買ったものばかりなんだよなぁ…

…ということで、ちょっと後ろ髪ひかれる思いもありましたが、ここでは小さいダルマ(ダルマの中におみくじがある)のを購入し、ぬこ画像を撮って安居神社を後にしました!

ちなみにぬこは人馴れしているのか暑さでうだっているだけなのか、逃げる様子が全く無く、かなり接近して撮影することが出来ました。
ぬこさんありがとうねー!

まとめ

というわけで、これにて取材終了!
いかがだったでしょうか!

今回、信州・上田、九度山、大阪と巡り、信繁は敵味方問わず「日本一の兵」と言われる所以を感じ取ることが出来ました!
戦国大戦というゲームを通じて「まぁ武力は高いけどねぇ」ぐらいの認識しかなかった僕にとっては驚きの連続でした!

行く先々で碑石が立ち、のぼりがあり、立て看板やナレーション、ガイドさんの熱い口調からは「これは流石にマンガだろう」と思うぐらい獅子奮迅の活躍をしているってことが分かります。

そしてそれらは史実や確実な言い伝え、書物に基づいて書かれているというのだから驚きです…!
今度から大河ドラマをやるから単純に宣伝してる、ってだけじゃないと思う、それだけの実力は本当にすごいと思いました!

小さいながらも戦国の世を駆け抜けた真田家が好きになった、そんな旅行でした!

真田丸は2016年末まで続きます。

これから、「真田丸」を見て実際に回りたくなった、そんな皆様の少しの助けになればいいなぁと思います!
既に巡った方については、ツッコミどころ満載のこの記事をここまで読んでいただき、ありがとうございました!

それでは、また、次回…!

シリーズものなので

各記事へのリンクとタイトルをご用意させていただきました!
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