読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

めきょさんのブログ

社会不適合者のめきょさんが身体張ったり食ったり呑んだり見たりするレポを書いたらいかんのか?

【真田丸公開記念】真田一族が上田で遺した軌跡を辿ってみた・2

行ってみた 真田丸 真田家 上田 信州

さて

前回 からお届けしている「真田丸公開記念」シリーズを引き続きお届けしていきたいと思います

前回記事ではやっとの思いで(?)櫓を落としました!
いやぁ・・・流石戦闘民族「真田家」・・・櫓攻略も見どころ満載で強敵(?)でしたね・・・

櫓を落としたらいよいよ本丸・・・と行きたいところですが、 その前に真田家の代々の方々が祀られている神社「眞田神社」にて真田家の皆様にご挨拶をしてから本丸攻めへと参りましょう!
アイサツ大事。古事記にもそう書かれている。

シリーズものなので

各記事へのリンクとタイトルをご用意させていただきました!
もう一度見たい、こんなもん読みたくないときなどのときにご使用ください!

眞田神社の歴史的な何か

f:id:mekyonama:20160902091235j:plain

眞田神社

住所:長野県上田市 二の丸1-12
電話番号:0268-22-7302
公共交通機関でのアクセス:JR(新幹線)・しなの鉄道(旧・JR信越本線)・上田電鉄別所線上田駅から徒歩12分。又は上田市街地循環バス赤運行(あかバス)で公園前下車。徒歩2分。
車でのアクセス:上信越自動車道・上田菅平インターチェンジから国道144号線・国道18号経由で約4キロ。15分程度。
駐車場:普通車88台・バス8台駐車可能。駐車場無料。満車の時は近隣のコインパーキングや駅前の市営駐車場も利用可能です

この神社、元は「松平(しょうへい)神社」と言ったそうです。
前回の記事でもご紹介したとおり、信州・上田は真田家の後に仙石・松平両家が治めた時期がありました。
また、なんだかんだで一番長くこの地の政(まつりごと)と治めた影響もあって「松平神社」の名をつけられたそうです。
まぁただ、一度フルボッコにされた 一時期は上田の地を治めていた「真田」の存在を無視するのはどうだろう。 「なんかもう松平の2文字取っ払っちゃっていいんじゃね?」ってことで民意が一致。一旦「上田神社」と言う名に改称されました。

ところが困ったことに、改称された直後に「おい名前被ってるで」と名乗りを上げた神社がありました。
今の大星神社です。

元々ここは上田市のシンボルである太郎山の南にあり、上田に住む民を見守るという意味合いも込めて上田神社と名付けられていたそうです。 調べとこうやw
ってことでみんな混同しちゃうから再び改称することに。

結局、一番最初に上田を発展させてくれた真田の名を借り?「眞田神社」という名前に変わり、現在に至るそうです

参拝途中

歴史のご紹介も終わったところで、早速鳥居をくぐって参拝しましょう!

f:id:mekyonama:20160902091228j:plain 鳥居をくぐると、いきなり目にするのが大きい樽のようなサムシング。もっと言うなら、樽になんか蓋をした感じのアレがありました。
これは「酒樽茶室」と言い、要は茶を点てて嗜むための部屋です。
全くの無知な僕は「真田はそこまでして夜襲に慣れさせようとしていた」のか・・・とか思っていましたが、 ちょっと調べてみると上田や真田・仙石・松平三家に特段関係は無いそうです(;´∀`)なんじゃそりゃ・・・w

f:id:mekyonama:20160902091229j:plain ちなみに、室内はこんな感じ。
目一杯フラッシュとか焚いてこのレベルなので茶を点てて飲む際の様子はお察し下さい。 

拝殿周辺

真田と言えば六文銭、真田と言えば真っ赤な「赤備え」。
と言うことで赤備え兜。・・・なんですが、う~ん、でかい・・・

f:id:mekyonama:20160902091236j:plain

赤備え兜の右手側にありますのが参拝する人向けの殿・拝殿。
参道を進むと、デカい兜がお目見えします。f:id:mekyonama:20160902091234j:plainここは流石に真っ赤と言うわけでもなく、見た目普通の拝殿でございますね。
そして結構人がいます。大河ドラマという規模はやはり経済効果もあるんですねぇ。

遠目からお参りを済ませ、

f:id:mekyonama:20160902091237j:plain

f:id:mekyonama:20160902091232j:plain f:id:mekyonama:20160902091231j:plainBASARAなどに毒されたであろう腐ったタイプの方々が書いた絵馬を撮影。
みんな気をつけろ!真田家自体は結構地味?だぞ!

真田井戸

拝殿向かって左側に何やら専用口みたいなのがありましたねー。
こちらは本殿への道となっており、その途中にあるのが

f:id:mekyonama:20160902091230j:plain 井戸でございます。
これは「真田井戸」と言いまして、太郎山の麓まで続く抜け穴でございます。
なので井戸的な使われ方はされておらず、主に資材の搬入、人の出入りなどに使われていたそうです。
近くに「千曲川」という信州最大級の川(ちなみに鮎がとれます)があるので、飲水に使っていると思ったら抜け穴なのね…

本丸攻め

あちこちに真田の跡が残る眞田神社を後にし、いよいよ本丸攻めでございます!が、しかし。真田(上田)神社に比べ、上田城の命は短かかったのです。

上田城を築いたのは1583年。その7年後(1600年)にあったのが「関ヶ原の闘い」。
そう、豊臣を背負った石田三成徳川家康率いる徳川軍がちょうど日本のど真ん中・関ヶ原で戦った「天下分け目の戦い」でございます。
その際に、真田(主に昌幸と幸村)は石田三成率いる西軍に属しました。

結果、西軍はヘタレ 小早川秀秋の裏切りにより敗北。
真田軍敗戦の影響を受け、徳川家康から上田藩から松代藩(現在の長野県長野市松代町辺り)に転封 (平たく言えば転勤)の命を受けました。

敗軍の将の一人なので、それだけで済めばラッキーマンも驚きの超ラッキーな状況でしたが、 先の上田合戦の恨みがあったのか定かではありませんが、居城としていた上田城も真田がいなくなった途端、壊されてしまいました。

それでも「流石に城が無いのはちょっと・・・」と思ったのか、転封後に上田藩の藩主となった仙石忠政氏により上田城の一部は再建されました。
「よっしゃ、このまま上田城完全再建や!」と当時の地元民大歓喜の矢先に仙石忠政氏が病死
そのまま幕末へと時代が流れ、有志によりちょっとだけ復元された状態で現在に至っているのです。
そのため、残っているのは・・・f:id:mekyonama:20160902091225j:plain この石碑のみ。
どこが本丸の座敷かさえわかりません・・・
まぁ、この辺なんでしょう。きっと。

というわけで、本丸の景色を何枚か撮影しました。
(余談ですが、本丸周辺は桜の木があり、春には桜の名所として周辺住民や近隣県からの観光客が来るそうです。時期が合えば良かった…)

本丸周辺

本丸以外は市営球場、市立博物館、市民会館があります。中でも、市立博物館には前回ご紹介した櫓に置かれていた史料の他にも様々なモノが置かれています!

・・・が、館内は入り口含め全館撮影禁止とのことでしたので、ここでは外観だけ撮影しました。f:id:mekyonama:20160902091238j:plain

次なる目的地へ

最後だけちょっと消化不良でしたが、他施設は真田とは特段関係ないため、上田城攻めはこれにて終了!

続いては上田城を少し離れ、真田発祥の郷・長野県小県郡「真田町」へと足を運びたいと思います!

真田一族が上田で遺した軌跡を辿ってみた・3へ

シリーズものなので

各記事へのリンクとタイトルをご用意させていただきました!
もう一度見たい、こんなもん読みたくないときなどのときにご使用ください!