【真田丸公開記念】真田一族が上田で遺した軌跡を辿ってみた・3
前回までのあらすじ
前回記事では上田城を落城?させました!
ちょっと消化不良な感じもありますが、上田城が真田の全てではありません!
真田家が代々受け継いできた、言わば「全ての始まり」である「真田町」が長野県上田市内にあるのです!
※一応の注釈
ちょっと掘り下げて調べてみて分かったのですが、真田という名の発祥は上田市真田町にあるというわけではありません。
どーやらですが、そもそも最初から真田ではなく「狭名田(さなだ)」が始まり。そっから合計7パターンのSANADAが生まれたんですが、戦国時代より数百年前の平安時代、上記の豪族が相模國大住郡眞田村(今の神奈川県平塚市の真田)に住み着いたことがきっかけとなり、真田という名が歴史上にも記されることになったそうです。
なので、戦国時代よりずっと前から「真田=上田」というわけではないみたいだよー!っててことを書いておこうと思います。あくまで念の為。
シリーズものなので
各記事へのリンクとタイトルをご用意させていただきました!
もう一度見たい、こんなもん読みたくないときなどのときにご使用ください!
真田氏発祥の郷
上田城跡公園からおよそ9キロちょっと、車で20分ほど。
真田氏発祥の郷の石碑がお目見えです!
田ンボルギーニと正面衝突しないことを祈りつつ、更に車を走らせること10分で「真田氏歴史館」へと向かいます!
真田氏歴史館
こちらは真田町にある真田家の歴史館ということもあって、前々回にてご紹介した上田城の櫓よりも真田に特化した歴史を紹介している資料館です( ´∀`)
まぁ、ただ・・・
ノリノリで六文銭兜と真田昌幸という板?を持った若本をとりあえず撮影。昌幸ってよりかは織田信雄みたいだのう…w
その後、折角だからということで、僕も同じ六文銭兜を被り、「忍」の板?を持って撮ってもらいました。
うわ、一つも戦場っぽさがねぇ・・・
大体戦場において真っ青な着物ってなんだよ・・・w
このコスプレ会場?の奥にありますのが「真田氏歴史館」でございます。
入場料はなんと200円(団体で入れば180円)。子供は100円(団体で入れば80円)。湾コイン駄菓子かってぐらい安く済んでおります
それだけのお値段なんで展示物は大したことないやろー・・・なんて思っていたら
兜だったりシシオドシだったり銅像だったり・・・結構これだけでも「結構力入れてるんだなぁ」と、ちょっと感心(?)
まぁただ、大河ドラマの舞台となることはここでも推したいようで、こんなのがありましたw
僕は今まで幸村幸村幸村ー!と言っていましたが、正しくは「信繁」なんですねー!
なので、
こちら大河ドラマ「真田丸」の真田幸村役を演じる「堺雅人」さん。
ですが、厳密に言えば、 大河ドラマ「真田丸」の真田信繁役を演じる「堺雅人」さんなんですねー。ずっと幸村って呼んでたわ…
こんな感じで撮影が順調に進んでいきましたが、公式公開されている部分を除いては結局「撮影禁止だZE☆」ってな感じの立て札があり、撮影はここで断念・・・!
一通りザッと見渡して、次なる目的地「真田氏本城跡」に向かいました!
真田氏本城跡へ
真田氏本城跡は真田氏歴史館からおよそ2キロの距離。
一見すると道のくねりとかはあるけれども、5分ほどで到着するかなー・・・
・・・なんて思われたのですが・・・
そびえ立つこの山に向かって行くとなると話が若干違ってきます。
平坦な道を走るのではなく、先ほどまで登ってきた道よりも明らかに傾斜がキツい山道を昇るハメに(;´Д`)
平坦な道であれば5分ちょっとで着く道が、気がついたら15分。3倍かかってます。
が、これで終わりではありません。
ちなみに、道は先程の1/2ほどになってます。所謂「四国お遍路にありがちな狭い道」。 田ンボルギーニが来たら一溜りもありません。
時間帯が良かったのか、途中すれ違うこともなく、すんなりと頂上に到着!
やっとの思いで到着した頂上はと言いますと、砂利道と工事車両と暇そうにしている工事現場のおっちゃんがおるだけの殺風景が広がっておりました。
そう、真田氏本城跡と言っても、それは上田城が建築されるまでの話。ここにも真田家の苦労がちらほら伺えます。,
そもそも真田氏は、一度お家DANZETSUの危機に貧しておりまして。
当初は信繁のおじいちゃん、真田幸隆が「真田氏本城跡」に城(松尾城) を建てたのですが、これを武田信玄の親父「武田信虎」が周辺の国々と大名を巻き込んで城というか領地丸ごとフルボッコ&焼き討ち。領地を失ってしまいました。
普通ならそこでお家ごとMETSUBOUなのですが、別の地にて諦めず踏ん張りつづけた数年後。
武田信玄が信虎を信州から追い出し、 幸隆に元・領地を返すチャンスが与えられました。
題して「砥石城落城大作戦」。
ここで幸隆は、城内の元・真田領民を寝返らせるなど頭脳とコネを駆使して城を落城させます。
これに気を良くした信玄は次々と武功アップのチャンスを与え、幸隆は「よっしゃ稼ぎどきや!」と言わんばかりに武功を荒稼ぎ?します。
荒稼ぎした姿を信玄は真田家を完全に信頼。
真田領を幸隆に返し、正真正銘真田家のモノとなったわけです
この考えは真田家の家訓「真田の武士は命を粗末にしない どんなことがあっても 生き延びること」に繋がっていると思います。
僕が考えるに、おそらく「頑張ったらええことあるで!気張りや!」ということなのでしょうが、死んでほぼ当たり前、 無理がナンボのもんじゃい!特攻BANZAI!捨てがまりじゃー捨てがまりじゃー な節もちらほら見え隠れする戦国時代において「生きる」って事を家訓にした武家は少ないと思います。すごいな真田家。
・・・まぁそれにしたってね・・・
こんな山間にね・・・ 城建てなくたっていいよね・・・?※ここまでで標高200メートル近くあります。空気UMEEEEEE!
車を止めたちょっと広めの広場が「土塁」と言われる防壁に当たります。
元々、戦術上有利(≒攻める側は登るの大変、守る側は槍を突き出すだけで守れちゃう)な「高所(高い位置)」 を守備側に与えるための設備なので、景色はメチャクチャ良いです。
ガードレールとかそんなちゃちい?ものは一切無いので、ちょっと足がもつれると 火曜サスペンス劇場みたく「うわぁー」と言いながら落ちそうになります
駐車場から更に50メートルほど登ったところに本城があります。
本城は天守閣とも言うべき位置で、土塁より更に高い位置にあるため、敵が攻めづらく、かつ守りやすいという利点があります。
「当時の家臣はここまで出勤させられてたんだなぁ・・・」と思うと、今も昔も出勤がキツいところは長続きしないんだなぁ、と思わせます。違いますかね。「上田城を建てた昌幸ナイス!」と思ったのは僕だけですかね。
ちなみに、撮影時の天候は晴れ。所謂カンカン照り。風は吹いてもどことなく温風。
僕は普通の人々よりも汗をかかないのが身体的特徴で、蒙古タンメン中本並の辛い食べ物を食べないと汗が出ません。
そんな僕でも汗だくになりながら撮影を続け、20分ほどで撤収。 いやぁ…マジで暑かった…
まとめ
というわけで、これにて真田に関連する土地や施設の訪問記は終了!
今まで軍師が築いた城や城マニア()が築いた城、戦闘民族が築いた城などそれなりに城というモノを見てきましたが、これほどまでに「本丸の周りが兎に角攻めにくい」城や本丸はあったでしょうか…撮影してからの運転がしんどかったのも久しぶりでした(;´Д`)
まぁでも、城マニアを目指す?僕としては、これぐらい攻め辛い城でないと参考になりませんNE☆(白目)<
てなもんでお次からはおまけ編!信州・上田のグルメをご紹介する記事をご紹介します( ´∀`)
腹が減っては戦は出来ぬ、という心づもりでご覧いただくと真田だけではない上田の飯テロ違った一面についてもお気づきになられるかもしれません!