めきょさんのブログ

社会不適合者のめきょさんが身体張ったり食ったり呑んだり見たりするレポを書いたらいかんのか?

【真田丸公開記念】真田一族が上田で遺した軌跡を辿ってみた・1

さて

いよいよ前回からお届けしている「真田丸公開記念」シリーズをお届けしていきたいと思います。

さぁ、そんなわけで、改めましておはようございます。
実は前回記事ではまだ自宅から旅立ってないので、早速旅立ちましょう( ´∀`)

シリーズものなので

各記事へのリンクとタイトルをご用意させていただきました!
もう一度見たい、こんなもん読みたくないときなどのときにご使用ください!

この日の出発は朝の6時30分でした。
社畜であり、最近になって6時30分どころか8時30分になっても身体が起き上がれなかった(※頭は覚醒しているのに身体がだるすぎて動かない)僕がどうしてこんな早い時間に出発したかと言うと、自宅から真田の本拠地「長野県上田市」は東京の真ん中を北に駆け抜ける必要があり、

f:id:mekyonama:20160902091046j:plain 東京都内(主に環状八号線)の渋滞を考慮すると真っ暗な夜明け前、コーヒー片手に出発せざるを得なかったのです。
その距離おおよそ200キロ。かっ飛ばしても目的地まで2時間30分くらい。「普通ここは新幹線やろ・・・」と僕の中の悪魔が囁きましたが、かつて住んでいた東北地方にて地方の公共交通機関の酷さを実体験として経験していたのがフラッシュバックし、車で行くことに。

南や西はよく行くし、抜け道などもよく知っているのですが、北の方面にはあまり行かないため、オカンの「私にいい考え(≒抜け道)がある」を頼りに都内約20キロを2時間15分かけて突破。
天野月子さんの「」に出てくる歌詞のように、太陽が昇るに連れて僕の身体も太陽の出る方角から段々消えて行くのが分かりましたが、左半身だけ遺った状態で練馬区大泉学園から関越道に乗り込み、更に1時間車を走らせた結果、8時30分過ぎに埼玉県三芳パーキングエリア(下り方面)に到着。ここでようやっと一休み。

三芳(みよし)パーキングエリアで朝食

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三芳パーキングエリア(下り)

住所:埼玉県入間郡三芳町上富東永久保2245-1
アクセス:関越自動車道、練馬ICから10分程度。駐車場:駐車場有。車いす使用者用駐車場有

三芳パーキングエリアは、以前紹介した「サイボクハム」から割と近いところにあるパーキングエリア。
その為か、ホームページのオススメ料理も「大ロースカツ丼」だの「彩の黒豚焼肉丼」が真っ先にラインナップされております。
朝から豚肉ってだいぶんパワフルですが、太陽に浄化されかかった僕には充分過ぎるぐらいのエネルギー感ですw 

というわけで、スタッフオススメの「彩の黒豚焼肉丼」を注文。f:id:mekyonama:20160902091048j:plain北の大地で食べようと思っていたあの丼とどこと無く似ているような気がしていますが、味は随分甘口。卵をかけると味がまたまろやかに!
これに僕の好きな七味唐辛子をかけると最早「あの安い牛丼3杯と同じ?もっと取ってもエエやろ」とか思えますw

美味しい豚丼ですっかり人間らしさを取り戻した僕は、混んでいると予想された関越道をスイスイと走りぬけ、上信越道へ。
結局上信越道も半径10キロ圏内に1台車がいるかいないかぐらいの感じでガラガラ!
都内の渋滞を巻き取るぐらいのペースで群馬を駆け抜け、午前10時過ぎ、長野県・上田駅に到着!
キャッホーイ!よく事故んなかった俺!

上田城攻め・入り口編

しかし、ここで終わっては真田のさの字もありません。
更に車を走らせること5分。上田城跡公園へとやって参りました。

ここは施設名に「城跡」とついているだけに城そのものはありませんが、その代わり、開園時間はなく、入園料も(園内一部施設を除き)無料です。貧乏性な僕にはピッタリな施設ですな( ´∀`)

上田城跡公園

住所:長野県上田市二の丸6263番地イ
公共交通機関でのアクセス:JR(新幹線)・しなの鉄道(旧・JR信越本線)・上田電鉄別所線上田駅から徒歩12分。又は上田市街地循環バス赤運行(あかバス)で公園前下車。徒歩2分。
車でのアクセス:上信越自動車道・上田菅平インターチェンジから国道144号線・国道18号経由で約4キロ。15分程度。
駐車場:普通車88台・バス8台駐車可能。駐車場無料。満車の時は近隣のコインパーキングや駅前の市営駐車場も利用可能です

虎口

f:id:mekyonama:20160902091050j:plain まずは東虎口櫓門の前で1ショット。
しかも歓迎ムードなのか、虎口はまるでチューリップのようにパカっと開いており、すんなりと虎口を突破しましたが本丸はまだまだ先です。

櫓(南櫓)

f:id:mekyonama:20160902091056j:plain本丸前に立ちはだかった「南櫓」。
ここから敵(?)が、僕らがお上りさんよろしく写真をバカスカ撮っていたのをきっと見ていたことでしょう。

ちなみに別日にアオリ気味に撮影したときの画像がこちら。

f:id:mekyonama:20161127163717j:plain

f:id:mekyonama:20161127163847j:plainよく再現されてますね…
これって映像技術で作ったって話らしいんですが…ホンマかいな…!

f:id:mekyonama:20160902091057j:plain櫓の入り口にはご丁寧に開館中の文字があり、ちょっと開放的すぎやしないかと思いはじめましたが、何かあったら出浦さんがどこからともなく僕らを殺すようになっているんでしょう!多分!

f:id:mekyonama:20160902091053j:plainしかも撮影は自由だと!
オープン過ぎて流石に「ちょw罠なんじゃないの?w」と疑い始めましたが、気をつけつつ櫓へ突入ー!

櫓1内部

櫓の中は博物館のように様々な展示物が置いてあり、大名の移動手段として有名な駕籠がいきなりご登場。

f:id:mekyonama:20160902091104j:plain 割と狭いなぁ…w

f:id:mekyonama:20160902091054j:plain 続いて見えてきたのは「鉄砲狭間」。
ここに鉄砲と自分の半身を突っ込み、遠方から攻めてくる敵を撃つという、その為の窓のような隙間のようです。横15cmぐらい、縦40cmぐらい。
なにぶん狭いので、無理矢理スマホを突っ込んでも・・・f:id:mekyonama:20160902091103j:plain このぐらいのアングルしか撮れん・・・これは兵を狙うにはちょっとキツい。

ちなみに狭間の外から見るとこんな感じ。f:id:mekyonama:20160902091051j:plain結構狭い。
そりゃぁ僕らお上りさんでも櫓からは狙いにくいわけですね(錯乱

櫓には鉄砲狭間の外にも「矢狭間」という隙間もあります。 f:id:mekyonama:20160902091100j:plainこれは読んで字のごとく「弓矢を放つ」為の隙間。鉄砲狭間より狭い、大体10cmぐらい。

f:id:mekyonama:20160902091049j:plain 弓矢を引き絞って放つとかそう言う以前に身が1/3ぐらいしか入らないんですがそれは

そしてこの日一番驚愕したのが f:id:mekyonama:20160902091059j:plainこちら「狭間」。
門や櫓の真下にいる敵を槍で突く為の隙間だそうで。
突くための体勢をとると、もれなくオリンピック競技の射撃競技(狙撃みたいな)みたいな体勢になり、持病の腰痛が酷くなってしまうことが容易に想像できたため、写真を撮るのは断念しました(;´∀`)

ちなみに、南櫓は3つから構成されており、1つ目(鉄砲狭間など)、2つ目、3つ目の順で本丸に近づきます。

廊下

f:id:mekyonama:20160902091102j:plain1つ目の櫓と2つ目の櫓の廊下にあるのが 石落とし場。
これまた読んで字のごとく、この隙間から石壁をよじ登ってくる兵を石で落とす為の隙間になります。
画像にすると、f:id:mekyonama:20160902091107j:plainf:id:mekyonama:20160902091108j:plainこんな感じかと思われ。
熊本城とか福岡城跡にはこんなん無かったぞ・・・どんだけ防衛大好きやねん・・・

櫓2

石落とし場から10歩程歩くと2つ目の櫓に入れます。
2つ目は1つ目よりも展示数が少なく、素通りするところでしたが、こんなものがありました。f:id:mekyonama:20160902091058j:plain

まぁ、画像に写った文章を読んでいただくと大体分かるかと思いますが、上田城籠城戦を体験できます!
僕は全く知らなかった「第一次上田合戦」をここでかいつまんでご説明ー!

第一次上田合戦(神川合戦)とは

甲斐を制圧した徳川家康が南信濃へ、上杉氏は北信濃へ、そして北条氏上野国から碓氷峠を越えて東信濃へと侵攻した。このとき東信濃から西上野に勢力を保っていた真田昌幸は北条方に属していたが、徳川方の依田氏の工作により離反する。

10月には徳川・北条の間で和睦が成立するが、その和睦条件として徳川傘下となっていた真田氏の上野沼田領と北条氏が制圧した信濃佐久郡を交換することとした。

天正11年(1583年)から昌幸は上田城の築城に着手しており、沼田領や吾妻領を巡り北条氏と争っていた。

天正13年(1585年)には家康が甲斐へ着陣して昌幸に沼田領の北条氏への引き渡しを求めるが、昌幸は徳川氏から与えられた領地ではないことを理由にして拒否し、さらに敵対関係にあった上杉氏と通じた。

同年7月、浜松に帰還した家康は昌幸の造反を知ると八月に真田討伐を起こし、家臣の鳥居元忠大久保忠世平岩親吉ら約7000の兵を真田氏の本拠・上田城に派遣する。(中略)昌幸は上田城に、長男の信幸は支城の戸石城に篭城した。また支城の矢沢城には、昌幸の従兄弟矢沢頼康が上杉の援兵と共に篭城した。
(Wikipediaより一部抜粋)

とどのつまり、家康「小牧・長久手でサル(≒秀吉)をぶっ潰してぇんだわ。ほんでな、お前の持ってる沼田領を北条にくれてやったらアイツら機嫌良くして支援してくれると思うからとりあえず寄越せ。な?」

真田昌幸「へ?そんなん聞いてねぇし城建ててる最中だし。そもそもお前から貰った土地じゃねぇのになんで渡さないとならんの?帰れ帰れ」

家康「チッ・・・なんであいつ従わねぇの?ちっちぇークセに。嫌なら実力で奪ってやっから首洗って待っとけ!」

こんな流れから発生した戦が「第一次上田合戦」でございます。

ちなみに、この戦は真田昌幸がいいように徳川軍を弄び、徳川軍1万VS真田軍2千という8千もの差をものともせず、伏兵や他武将との挟み撃ち、火計などでボッコボコにします。
更に、散り散りになった徳川軍に神川にて水攻めを喰らわせ、合計で1,300人の戦死者を出させてフルボッコ(敗走)させることに成功。
徳川勢の皆様も流石にフルボッコにされたままおめおめと帰れないと思ったのか、その翌日に別の城を攻めたんですがこれも失敗。加えて家康を永らく支え続けていた石川数正に見限られ?出奔される始末。家康の我慢も限界を迎え、この年の9月に徳川勢は完全撤退しました。

f:id:mekyonama:20160902091105j:plainほんでまぁ、ここのコーナーでは、こんな感じで火縄銃を持って、虎口に攻める敵(徳川勢)を撃つ(フリ)が出来る、そんな体験が出来ます。
以前行った九州でも博物館に火縄銃がありましたが、ガラス張りの中にある火縄銃に手を伸ばすことが出来る程度のスペースしかなかった。
しかしながら今回は特にガラスなどの障害物?はございません!

つまるところ・・・f:id:mekyonama:20160902091052j:plainこんなポーズで「いいこと思いついた。お前ら場外に向かって射撃しろ」と言いながら何気なく歩いているおじいちゃんやおばあちゃん、家族連れを敵(想定)として撃つ(マネをする)ことが出来ますw
これが結構楽しく、海外の銃乱射事件の犯人のように次々と照準を定めては撃ちまくっていましたw
多分20人ぐらい脳内で倒した。
ちょっとスッキリした。
反省はしていない。

櫓3

f:id:mekyonama:20160902091047j:plain そして最後の櫓は、これまた少々の展示物とビデオを観るためのスペースがありました。

上田藩(現在の長野県上田市周辺)は真田家の他に仙石家や松平家などが治めていた時期があったようで、f:id:mekyonama:20160902091044j:plain仙石家の家紋「永楽通宝」や兜の一文字「無」が展示されていました。
ちなみに写真には収めませんでしたが仙石家はビッグダディかってぐらい子孫がいました。明治時代までで覚えてる限りで30人ぐらいおったと思う。

当然、真田家の家紋や兜の一文字も展示されており、f:id:mekyonama:20160902091101j:plain 六文銭がありました!
真田家のほとんどは大阪夏の陣を通じて子が激減し、難を逃れた信繁の子(阿梅)を除き、戦でSATSUGAIされており、子孫が一気に減っていました…

そして、家紋の下には大名の絵が展示されていt・・・










f:id:mekyonama:20160902091043j:plainへ?誰??









f:id:mekyonama:20160902091040j:plain ・・・えーと・・・ f:id:mekyonama:20160902090955j:plainこれが・・・

f:id:mekyonama:20160902091042j:plainこれ?
イケメンどころか右下の「愛」の一文字どこ行ったって状態じゃないのさ!w
絵師さん・・・もうちょっと頑張って欲しかったなぁ・・・





とりあえず、腐女子や暦女の皆様、これ↑が真田幸村だ。
決して腹筋が割れてるわけでもないし、イケメンってわけでもねぇ!
もちろん髪の毛はオレンジ色でもねぇし、鼻がとんがってるわけでもねぇぞ!
にしても、これを赤メッシュ髪の超イケメンまで昇華させるって…OTAKU文化すげぇな…

これにて櫓3つは攻め落としました!
続いては本丸へと攻め入りましょう!真田一族が上田で遺した軌跡を辿ってみた・2へ

シリーズものなので

各記事へのリンクとタイトルをご用意させていただきました!
もう一度見たい、こんなもん読みたくないときなどのときにご使用ください!